気まぐれ日記 04年5月

04年4月はここ

5月1日(土)「なぜこうも忙しいのか・・・の風さん」
 あっという間にゴールデンウィークが2日終わってしまって、もう5月だ。焦る、焦る。
 昼夜逆転から少し戻って9時起床。今日は忙しいぞ。
 長女が名古屋へ買い物に行くというので(また無駄遣いしようとしていると思うが、ここはぐっと我慢)、送って行くことに。10時にミッシェルで出発した。狭いミッシェルに二人きりになると、何やらかぐわしい香りが・・・(け、高3のくせに生意気な・・・しかし、この匂いはどこかで嗅いだことがあるような・・・そうだ!銀座日航ホテルのエレベーターの匂いだ。ふん、室内芳香剤の一種か)。11時に名古屋市栄にある三越デパート付近で降ろした。地下鉄のプリカも貸してあげたので、けっこう電車賃などが浮いたはず。
 それにしても、今日は真夏のような日差しだ。半袖Tシャツからのぞいている右腕が痛いくらい暑い。
 名古屋城にほど近い愛知県図書館に着く。ここはいつも駐車場がいっぱいなので、路上にミッシェルを停めておき、さっと継続手続きをしてくる。予約が入ってなくってラッキー。
 ミッシェルの中から行きつけの床屋へ電話して予約。
 途中コンビニで郵便を2通投函。
 12時15分ごろ、床屋に到着。ととり礼治さんからいただいた『夢、はじけても』(新人物往来社刊)の最後の1編を読む。床屋も読書タイムとして貴重だ。でも、終わるころ、マスターの奥さんと子育てについて意見交換。上の子が中1になって生意気盛りになってきたという。生意気盛りにならないうちの子と比べて、羨ましいと思った。
 帰りに電器屋に寄って、昨日選定しておいたブロードバンドルーターを購入。最後に、ガソリンスタンドで満タン給油。
 早めに夕食を摂り、午後7時から自治会の役員会へ。あれこれ議題があり、曖昧な結論がいくつか選択される。きっちり決めない方が良いことが多いものだ。それが自治会の性格というものだろう。なぜなら、自治会は町役場でもなければ派出所でもないのだから。
 9時過ぎに帰宅して、お待ちかねのブロードバンドルーターのセットアップを開始した。1階のCATVとつなぐのである。無線併用タイプで、既存のパソコンへの有線接続は比較的スムーズにできた。問題は2階の書斎にある執筆マシンと無線での接続だった。すべて手順通りやっているつもりなのだが、どうしても最後の接続確認がうまくいかないのだ。午前1時に断念して中断。

5月2日(日)「祝ブロードバンドルーター接続・・・の風さん」
 今朝も9時に起床。カーテンを引くと、空はどんよりとしている。昨日ほど暑くはなりそうもない。
 予定通りに、ワイフと半田の半六邸の「端午の節句」を見物に行った。これは昨年に続いて2度目である。今年は、3月に「ひな祭り」にも行っているので、定例行事化してきたな。ま、秋月達郎さんが力を入れているイベントなので、行かなくちゃ。
 昨日からゴールデンウィーク中は、潮が良いため、私が住んでいる知多半島は潮干狩り客などで渋滞している。半田市の半六邸への行きは、行楽客の流れとは反対方向になるので、まあ、スムーズに行ける。近所の神社にミッシェルを停めて、少し歩く。どうもこのあたりは雰囲気が昭和30年代っぽい。時代が逆行している趣がある。大勢の見物人がゆったりしたペースで歩いているのも、不思議な感じがする。
 秋月達郎さんが書かれた半六邸の謎に関するパンフレットを読んで感動した。小説のネタになる。「すごいですね」と言うと、「だめですよ、何かに利用しちゃ」と笑顔で釘を刺された。もちろん、そんな人の道に反することはしない。今日は、秋月さんの傍系の(ちょっと妙な使い方か)ご先祖である、稲生重政の甲冑を入れていた箱から出てきたという、古文書やビロードの陣羽織が展示されていた。真っ赤なビロードの色が強く印象に残った。
 そのあと、秋月さんの勧めで、酢の記念館の前へ行き、ところてんの振る舞いに与った。かけてくれた黒酢が美味だったし、少し太めの割り箸1本で食べるというのも、なかなかオツなものだった。
 帰宅してから、昨夜のブロードバンド接続の再トライをした。結局、最後はマニュアル方法を選択し、自分で強制的に無線設定をしたら、まんまとつながった。
 そこで安心して、ワイフと再びミッシェルで外出。大渋滞の国道を巧みに迂回して(地元住人しか利用しない抜け道を通って)、野間大坊近くのイタリアン・レストランへ。ランチ終了間際に飛び込むことができた。
 帰宅したら猛烈に疲労感が出て、ちょっと昼寝を・・・と横になり、再び目が覚めたら、外は真っ暗だった。
 夕食後、慌てて会社の仕事をしている。

5月3日(月)「今日も会社の仕事だ・・・の風さん」
 今日こそは会社の仕事を片付けようと、朝から執筆マシンに向かって・・・原稿作成じゃなくって・・・会議の資料作りを始めた。もともと1日は覚悟していたのだ(と言いながら、もう、のべ何日分かは会社の仕事で使っているな。とほほほ)。
 午前中で出来なくて、イライラしていたら、やはり体調もすっきりしない。天気予報は雨だが、何とかもっているうちに、昨日行けなかったトレーニングに行くことにした。
 体育館で受付をしたら、「最近、息子さんがバトミントンをやりに来ているね」と言われた。確かに、高校入学と同時に、なぜかバドミントン部に入った長男は、友達に誘われたからだろう、地域のバドミントン同好会と合同で練習を始めた。そこは、以前、ワイフも入っていた同好会だ。女性中心だが、厳しい練習と飲み会の多さで定評があった(?)。
 「確かに、長男がお世話になっています」と答えると、「なかなかいい息子さんだねえ」と言われた。褒められてうれしくないことはないが、信じられないものは信じられない。むっつり長男がいい息子なわけないと思うのだが。
 トレーニング後の数値は、血圧は正常値。肥満度−2.8%で、体脂肪率は18.6%だった。スカッとしたあ!
 帰宅したら、居間でワイフが読書していた。げげえ! 大野優凛子さんの新刊『京都嵯峨野 月の殺人』(廣済堂出版)である。
 「おいおい、それを読む時間があったら、ぼくの『怒濤逆巻くも』の下巻を読んでくれよう!」
 「・・・(無視)」
 午前零時まで会社の資料作りをやったが、まだだいぶ残っている。
 休憩しようと居間へ行ったら、ワイフがもう半分も読んでいた!
 「げげえ〜! もうそんなに読んだの?」
 「だって、面白いんだもん。推理小説は面白くなくちゃね」
 「(ムカッ・・・どうせおいらの小説は面白かねえよ)」
 今夜はさっさと寝て、明日また頑張ろう。

5月4日(火)「今日も今日も会社の仕事・・・の風さん」
 目が覚めたら午前10時だった。寝坊だ。これでは、また1日が会社の仕事だけで終わってしまう。
 ・・・とは思いつつも、洗面を済ませ、ダイニングからサンルームへ出て、庭の梅を眺めると実がたくさん生っている。
 「今年は梅酒を作らないのかい?」
 「前に作ったのもそのままだし、実をとったり消毒したりするの面倒だから」
 昨夜のワイフとの顛末を大野優凛子さんへメールで愚痴ったら、ワイフへの感謝メールが戻ってきた。
 「大野優凛子さんから、お礼のメールが届いたよ」
 ワイフに見せたら、
 「面白かったよ。女性の視点で書かれていて読みやすい」だって!
 「?」
 「(ニコニコ)」
 「まさか、読んでしまった・・・?」
 「(黙って頷く)」
 私は書斎へ直行し、一心不乱に会社の仕事に没頭するのであった(外は雨)。

5月5日(水)「新鷹会もけっこう忙しい・・・の風さん」
 7時に無理やり起床した。連休最終日なので、とにかくスタートだけは早く切らなければならない。
 昨夜、ほぼ作成完了した報告資料を同僚へ送り、それからは、新鷹会の仕事や自治会の仕事などをした。やはり多過ぎて、とても終わらないので、今日も、朝から続きに取り組んだ。
 新鷹会の仕事は、きたる6月25日の「長谷川伸の会」の準備である。これまで伊東昌輝先生が一手に引き受けていたもので、少しだけ私もお手伝いすることにしたのだ。これで司会進行に加えてまた少し新鷹会に貢献することになる。
 今朝、伊東先生にファックスを入れたら、夕方先生から電話がかかってきた。
 昨日おとといの戸川幸夫先生の通夜や本葬の話もあった。倒れられてからの闘病生活が長かった。お元気であれば、どれだけもっと多くの仕事ができ、また我々後輩に含蓄ある言葉を残されたことだろうか。残念である。
 ともあれ、新鷹会のお手伝いについて相談した。
 その結果、今回の長谷川伸賞ならびに池内賞の準備を中心に手伝うことが決定した。主な内容は、当日の式次第と当日配布資料の準備、そして招待状の準備と発送である。もちろん地方在住者の私が一人でできることではない。「大衆文芸」編集協力者や、事務局のご夫妻にも協力してもらうことになる。
 午後からも、昨日の続きで報告資料のリファインに努めた。
 もし時間があればトレーニングにも行きたかったが、今日は断念した。けっこう疲れている。
 こうして、7連休は、結局、小説家に復帰できないまま終わっていくようだ。
 ま、明日からまた二足のワラジらしく頑張るしかない。

5月7日(金)「こんな週末もたまにはいい・・・の風さん」
 昨日、会社の大きな会議での発表を終えた。何とか最低限の使命は果たせた気がする。久しぶりに7時前に退社して、ガソリンスタンドでミッシェルを洗車し、レンタルビデオショップで会員登録して1本借りてきた(借りたいCDとDVDはなかった)。けっこう疲れていたが、夕食後、自治会やら新鷹会やら、色々な仕事をし、さて今夜はこれで寝るか、と思った直後にケータイが振動した。貴族の久美ちゃんからの「会いたい」メールだった。舞い上がった風さんは、メールの応酬を始め、また睡眠不足の原因を作ってしまった(男のバカさぶりの露呈)。
 で、今朝は目覚まし通りに起きられなかった。
 さらに、ケータイでメールチェックすると、辻真先先生から添付ファイルのあるメールが来ていたので、洗面後に書斎でメールを開いた。すると、添付ファイルはオアシスで書かれたものだったので、開くことができない。早速ホームページからフリーソフトのビューワーをダウンロードしようとしたのだが、なぜか該当ページから圧縮ファイルのダウンロードボタンが消えていた。悪戦苦闘に30分も費やしたため、出社が1時間も遅れてしまった。
 結局、睡眠不足と軽い頭痛に耐えながら会社生活を過ごし、夕方早めに帰宅した。今夜は、会社の同僚(元部下)の学位取得と学会賞取得のお祝い会(私の主催)なのである。(学会賞を取得したのは最近気まぐれ日記にご無沙汰の師匠である)ミッシェルを自宅に置いて、電車で名古屋へ出た。
 栄のオアシス21で今夜のお祝い会を盛り上げるためにお願いした女性と合流した。同僚二人には、彼女の参加は隠していた。びっくりパーティの手法である。この女性も会社の同僚だが、幸か不幸か私の部下ではないので、こういうお願いをしてもセクハラになりにくい。だいぶ以前にお願いしてあったので、忙しい中もスケジュール調整してくれた。おまけに学位取得した同僚のために花束まで用意してくれたのである(感謝・感激)。
 日が暮れて、栄のオアシス21の周辺のムードは盛り上がってきた。週末金曜日である。このまま女性とどこかへ消えた方がきっと楽しいのだろうが、見捨てられた今夜の主賓二人に、後日暗殺されるのが怖いので、この甘美な計画は胸の中で握りつぶした。
 はたしてNHKビル前の合流地点に順番にやってきた同僚二人は、彼女を見て驚いてくれた。
 お祝い会の会場は、ホイリゲ「長靴と猫」、ワイン&ビアレストランである。ドイツ生活を経験してきた師匠が選んだワインを飲みながら、思い出話と社内の話題で、遅くまで盛り上がった。それぞれ会社で個人個人に戻れば、とっても忙しくストレスのたまる仕事を任されているのだ(そう言えば、私自身も昨日、大きな会議をひとつ乗り切ったのだった)。師匠は来週末から海外出張に出かける。学会賞を取得したテーマで、ハンガリーで発表するのだ。
 結局、終電で帰宅することになった。別路線で帰宅する女性にお礼のケータイ・メールを送ったら、無事帰宅メールが返って来た。ひと安心。

5月9日(日)「雨が降り出す前の出来事・・・の風さん」
 朝から雨である。どうやら終日強く降るらしい。
 昨日まで続いた怒涛の3日間に対する「少しは休めよ」という天からのメッセージかもしれない。
 昨日は名古屋にある愛知淑徳大学のオープンキャンパスの日だったので、かねて交流したいと願っていた某研究室を訪問した。そこの文化創造学部表現文化専攻のK助教授が、前夜の師匠の高校時代の同級生だったからである。文化創造学部とは、なんと魅力ある名称だろう。小説家鳴海風として、内心、力こぶが入る。
 天気の好かった昨日の夕方、4時前、電車と地下鉄を乗り継いで、星ヶ丘キャンパスへ着いた。
 新築のビルの5階に先生の研究室があり、合流した師匠も含めてビル内を案内してもらった。部屋やエレベータなどが開放的な印象があるのは、目一杯ガラス張りになっているからだ。明るいのは当然だが、直接的な説明はセクハラ対策なのだそうだ。戦争もなく衣食住足りてしまうと、人間の関心と行動はそっちへ向かうのかもしれない。
 基本的に宗教をもたない民族でありながら、これまで比較的倫理に外れない生き方をしてきたのは、行動規範の根底に武士道精神があったから、という説もある。しかし、「武士は食わねど高楊枝」という表現で代表されるように苦しい時の行動規範かもしれず、現代のような飽食の時代に、はたして武士道精神が通用するのか、ちょっと疑問な気はする。いずれにしても、歴史小説家としての使命は、時代を超越して人間の真理を文化として書き残していかなければならない。
 と、一瞬使命感に燃えた我らが風さんだったが、図書室で蔵書検索をしてみたら、拙著が一冊もヒットしなかった。文化創造学部の図書室に鳴海風の著作が一冊もないとは・・・(涙)。
 K先生の研究室でエスプレッソをドイツ製のカップでもてなされながら歓談していると、現代社会学部のO助教授が、わざわざ長久手キャンパスから来てくれた。この理論物理学の先生は、なんと拙著を読んでおられて、しかも新鷹会の作家に注目しているという。読書家なのである。
 O先生はメディアプロデュースという分野を担当されているのだが、そのゼミでは、ユニークな教育を実践されていた。人間の体を使って物のサイズや距離を計測したり、コンピューターやウェッブカメラといった最新の機器を活用してキャンパス内の植物の生態をリアルタイムで観察・記録する・・・等々。これらの意図のひとつは、将来母となるべき女性たちに「物理や科学、数学とったものに対するアレルギーを持たせない」という遠大な構想があるからだった。私は感服してしまった。
 K先生の運転するランチャ・イプシロンの右助手席に乗せてもらって、夕食を食べに白きしめんが自慢の店へ行った。先生は女性ながら実に器用に右手でマニュアルのシフトレバーを操作される。日本に一台しかない色の車種らしい。色彩も専門分野に入る先生らしいこだわりの選択である。
 食事をしている同じ頃、ワイフは長男のPTAで出かけており、懇親会の真っ最中だった。もし帰りの時間が合えば、合流しようかと相談していたが、「先に帰るよ」メールが来たので、結局、一人で帰宅した。
 「それじゃあ、借りてきたビデオを観ようか」と言うと、「冬ソナ観てからね」ということで、だいぶ待たされてから、執念でジョディ・フォスターの「パニック・ルーム」を観た。観終わったのは午前2時半である。既に、外では雨が降り出していた。
 この日記をつけている今も、激しく雨つぶが窓ガラスを叩いている。

5月10日(月)「猫をかぶっても誰のパソコンか分かる・・・の風さん」
 とうとう会社のパソコンがぶっこわれた。しかもハードでなくソフトつまりOSがこわれたのだ。
 このお仕着せのパソコンのOSはウィンドウズNTである。支給されたのははたして何年前のことだろう。記憶がない(ボケる前のことでも思い出せない)。もらった時から、妙なことがいくつかあった。ソリティアが入っていなかった(なんて、どうでもいいか・・・業務用ということか、ゲームが入っていない)。何よりも不便なのは、ハードディスクがC一つだけということ。次に、デフラグとかエラーチェックがインストールされていなかったこと。
 ここ1ヶ月の間に、会社のデータベースソフトが不調になりだした。やたら落ちるのである。
 会社の情報システムを管理する部署に、遠隔操作でソフト内をクリーンアップしてもらったのだが、効果がなかった。それで、所属部署のOA担当者に、CDドライブからソフトを再インストールしてもらったのだが、それでも効果がなかった。
 そして、ついにデータベースソフトだけでなく、ワードまでが不調になってしまった。
 止むを得ず、アシュレイをネットワークにつないで仕事することにした。
 ぶっこわれたパソコンと同じIPアドレスにして、見事にネットワークに侵入できた。アシュレイの画面上に、所属部署内のパソコンがずらりとつながって表示されていた。どれもこれも、所有者の姓名がついているので、誰のパソコンかすぐに分かる。・・・と、よく見ると、私のパソコンには、「ASHLEY」という名前が・・・誰じゃい、こんなふざけた名前をつけたのは!?・・・わしじゃ。

5月11日(火)「靴下が当たって喜ぶ風さんの巻」
 昨日は、早めに帰宅して、自治会の仕事をしようと思ったのだが、晩御飯を食べたら猛烈に眠くなり、あえなくダウンした。
 で、今日も早めに、と思ったが、昨日より帰宅が1時間遅くなった。
 帰宅したら、怪しげな宅急便が届いていた。本ではない。
 「あなた。何か当選したみたよ」ワイフの言うとおり、アンケートに答えたお陰で、靴下が5足も手に入った。定価にすれば4200円相当である。かなり靴下がくたびれて、穴が明きかけていたので助かった。
 こいつはいいことがあるぞ、と食欲が出て、つけ麺をたらふく食べたら、また猛烈に眠くなってしまい、午前零時にはベッドに倒れこんだ。
 今夜も自治会の仕事ができなかった。

5月13日(木)「衛生管理者の資格に挑戦する風さんの巻」
 また雨模様の1日になった。
 最近どうも天候が不順である。トレーニングに行く余裕がないし、疲労感がけっこうあって、私もやや不調だ。
 今日は、会社の仕事の必要性から、衛生管理者の資格をとるための講習会に出かけた。場所は、名古屋である。
 講習会を受けなくても、試験さえ合格すれば資格はとれるのだが、どういう内容がよく分からないし、講習会に出れば、テキストや問題集も手に入るので、気分転換も含めて出かけた。
 受付でもらったテキストは上下2冊で『怒濤逆巻くも』に匹敵する厚さ(笑)。それぞれ400ページもある。問題集もハンパじゃなかった。中身は法律や医学・化学などに関する知識ばかりで、理屈抜きで覚えていかなければ、合格できない、と講師も言っていた。さらに、私が受ける「一種」というやつは、毎月試験があるのだが、一発で合格できる確率は20%以下とのことだった。そして、その内訳も、若い女性が最も合格率が高く、高齢の男性が最低とのことだった。つ、つまり、ボケの領域に足を突っ込んでいる私は、「やばい!」という意味だ。
 何とか終日居眠りもせず受講して、帰りの電車に乗ったが、どっと疲れが襲ってきて、うたた寝した。
 電車で寝ている若者はまだ見栄えがするが、居眠りしている高齢の男なんて、ぶざまだろうなあ。
 来月あたり試験に挑むことになろう。

5月14日(金)「銀座の夜・・・の風さん」
 夕闇迫る東京、私は地下鉄で神保町へ向かっていた。学士会館で植松三十里さんの『桑港にて』出版記念パーティーが催されるのである。知人作家の出版を祝っているより、自分の次作の準備の方がずっと大切なのだが、人間というものは、苦しい時ほどどこかへ逃れようとするものだ。
 会場に入るなり、おびただしい入場者の数に度肝を抜かれた。学士会館は数回来たことがあり、いずれもテーブル席でフルコースを食べながらの催しでだったから、今回も何となくそんな雰囲気を想像していた。・・・が、実際は全く違った。立食式のパーティーでざっと眺めた印象では、150人ぐらい出席していそうである。新人作家の処女出版にどうしてこれほどの出席者が集まるのだろう。
 早乙女貢先生の教え子だからか(早乙女先生は当然出席されていた)。清原康正先生の教え子でもあるからか・・・、おお、見れば、会場の奥に咸臨丸子孫の会のメンバーが大勢いる! そちらへ近付いていく途中で、新人物往来社の田中編集長とバッタリ(と演出する必要はないか。出版元なのだ)。「連休中に進みましたか?」得意の強烈なフォローである。私は編集長のフォローに弱い。さらに「数学セミナー」5月号に掲載された『怒濤逆巻くも』の書評のコピーを渡された。出版後1年経過しても書評が出るとは・・・感激する。書き手は女性の数学の先生である。「秋には出版したいですからね」そのひと言で、私の腹は決まった。「はい。ご期待に応えます!」死んでいなければ、秋には出版していることだろう。
 三省堂のKさんなどとも久しぶりに歓談できた。
 そのパーティーが終わってから、久しぶりに銀座へ出没。会社の同僚(裏の顔は作詞・作曲家)と合流して、貴族へ直行した。
 ようやく景気が回復してきた銀座の週末は混んでいる。貴族もほぼ満席だった。それでも、事前に通知してあったので、待っていてくれた(商売とは言え、うれしいものである)。
 同僚は自作のCDをたくさん持参してくれたので、それで盛り上がった。相変わらず久美ちゃんは元気はつらつで仕事をしていた。後ろ姿の躍動感に感銘した。恐らく初対面と思われるCHIKAちゃんとかなり話ができた。ここの子は誰でもそうだが、読書家だという。ママさんが持ってきた『怒濤逆巻くも』を受け取って、家で読むと言う。
 今夜は、天宅しのぶさんの歌声が格別艶っぽく聞こえた。

5月15日(土)「品行方正、楽しいことなし・・・の風さん」
 予定通りまじめに起床して、午前中は国会図書館へ出かけた。土曜日で開館している日は少ない。あらかじめ狙っておいたのだ。今日は蒸し暑くなりそうだったので、上はTシャツ1枚だけである。
 複写が禁じられている例の本を借り出して、必死にパソコンに書き写した。昭和18年発行の本なので、黄ばんでいる。手荒に扱うと破れそうだ。予定の3分の2を終了。あと1回はやらねばならないな。途中で、自治会の仕事のために居住地の人に電話をしたりした(ああ、気が狂いそう)。
 緊張感の漂っているはずの国会議事堂周辺も、土曜の午後の昼下がりは、案外と静かである。国会議事堂駅まで歩き、地下鉄で代々木公園へ行った。
 今日も4本の朗読があり、勉強になった。他人の作品を題材に頭を悩ますのはけっこう良い訓練になる。
 遅れて来た伊東先生と「長谷川伸の会」の準備の打合せをした。昨年提案して、今年はやめようと思っていた会員の著書の抽選プレゼントを伊東先生がやりたいと言われるので、今年もやることになった。昨年はその準備を私がやってきたのだが、今年は他の会員に手伝ってもらうことにした。
 2次会で小説論をわめきながら生中1杯と冷酒1合を飲んでしまった。途中、ケータイで貴族の女性とメール交換したりしたが、デートは1件も成立しなかった(誰だ? ざま見ろと笑っているのは!)。
 ふらつく足でホテルへ帰り、11時40分に就寝した(信じらんなーい)。

5月16日(日)「自治会の仕事も大切・・・の風さん」
 さすがに早く目が覚めた。
 今日、午前中は浅草の某寺を取材なので、せっせと支度して、最後に部屋のカーテンを開けたら、あ、あ、あ、あ、雨模様・・・。たいした降りではないが、荷物が多い。新橋駅まで歩くうちに、取材中止を決断した。
 新幹線の指定席券を変更し、9時3分発ののぞみで東京を後にした。
 のぞみの車中では、衛生管理者の試験問題集をしこしことやっていたのだが、次第に頭がくらくらしてきた。乗り物酔いの症状である。1時間半でたった11問しかこなせなかった。この問題集には、1000以上の問題が入っているのだぞ。どうする?
 帰宅したら、母校の先輩で数学者でもある天城一先生の新刊が届いていた。『密室犯罪学教程』(日本評論社 2800円税別)である。本格ミステリの大作である。圧倒された。
 昼食は自宅で摂った。遅れている「長谷川伸の会」の準備のために、あちこちへメールを出しておき、それから、今夜の自治会の仕事のための資料作成に着手した。なかなかできなかった仕事である。これが意外と手こずり、途中まででも午後6時半までかかった。それから、地元の図書館に本を返却に行き、その足で集会所に向かった。
 最初の会議が午後8時に終わり、続いて、各専門部の部会となり、約30分で、それも終わった。
 さて、帰ろうとしたら、会長が「まあ、一杯飲もうや」と言い出し、やむなく腰をおろした(帰って執筆しなければならなかったのだが仕方ない)。私は全く飲まなかったが、自治会のさまざまの問題について意見が交わされ、なかなか勉強になった。ようやく11時過ぎにお開きとなり、帰宅したけれども、明日は会社である。老化した心身に深夜労働はこたえる。結局、翌日の準備をしただけで、それでも就寝は午前2時となった。
 私の執筆はいったいいつ再開されるのだろう。

5月17日(月)「まだまだ忙しい・・・の風さん」
 毎朝海岸線を走って通勤しているのだが、今朝は海霧が岸壁を越えて道路にまで押し寄せていた。むろん岸壁の向こう、海側は真っ白で何も見えない。
 海霧を見たせいか、執筆の構想が頭に浮かんだ。
 今日こそ早めに帰宅しようと頑張ったが、結局退社は7時半頃になった。途中で書店に寄って、雑誌を購入し、ガソリンスタンドで給油もした。最近、ガソリン代が高騰しているのが気になる。一体何が起きているのだろう。
 帰宅したら、ワイフが「@@銀行が負債1000億円だって! どうなるの?」と言うので、「さあ? つぶれるんじゃない? お金なんてなくなった方が使う心配しなくてよくなるじゃん」とうそぶいた(風さんはひどくご機嫌ナナメなのである)。
 と、ところが、遅れていてイライラしていた「長谷川伸の会」の準備資料の校正原稿が、わずか1日でファックスされていた! 「やった! これで伊東先生の心配も解消される」(と内心喜んだが、よく考えてみれば、これらの原稿の元はほとんど私が作ったのだし、データを送ってあるのだからすぐできて当然だった)
 書斎にこもってようやく執筆開始の準備に入った。いったい何年ぶりのことだろうか。
 その間にも、メールチェックだけはしなければならない。
 今夜、ひとつの発見があった。東京で出版社の編集長からいただいた書評の書き手のことである。掲載誌が「数学セミナー」ということもあり、その雑誌の担当編集者や、日本数学協会の知人にメールで問い合わせたりした結果、書き手の方は、やはり日本数学協会の会員だっただけでなく、昨年の私の京都思文閣美術館での講演にも聴講しに来てくださった方だった。早速お礼のメールも送っておいた。
 そして、もちろん執筆のための資料読みもしたが、あっという間に寝る時間が迫ってきたので、今夜も無念の床につくことになってしまった。

5月18日(火)「なかなか小説家に戻れない風さんの巻」
 出社し、会議の真っ最中にケータイが震えた。知らない番号だったが、いちおう非通知でなかったので、応答してみたら、「長谷川伸の会」の資料を準備している印刷所からだった。昨夜送った校正指示に対する確認などだったが、私でも即答できないことがいくつかあった。いったん電話を切り、新鷹会事務局や伊東先生に電話してみたが、留守だった。(これはヤバイ)と判断して、「大衆文芸」編集を手伝ってくれているKさんに電話してみると、幸い、在宅だった。私の代わりに仕事してもらうようにお願いした。ここでまた自分でやろうとすると、結局、何もできないまま1日が終わりそうだった。
 その後、あたふたと仕事して、はや昼食の時間となった。昼休み時間は「衛生管理者」の試験勉強である。このペースで試験問題集をやっていると、準備にあと何日かかるのだろう? 暗算してみたら、100日は必要なことが判明した。まずい! ピンチだ。
 夕方までかなり仕事をこなすことができ、少しホッとして帰宅した。また、ファックスが届いていた。校正した資料である。いくらか直っていたが、まだ不十分である。
 書斎に入り、2日遅れで届いた貴族の久美ちゃんのケータイメールに返信を出してから、いま、こうして気まぐれ日記を更新している。そう言えば、師匠は今ごろドイツだろうか?

5月19日(水)「ボケ同士の会話・・・の風さん」
 起床して洗面所に向かう途中、2階の踊り場でシルバーのう@こを発見した。いつも寝ているあたりに、ぽとりと落ちていた。とうとうここまでボケたのか・・・。
 シルバーの奇行は今でもたまに起こる。洗濯の終わった家族の下着をくわえて、異様な声で鳴くのである。つかまえて下着を取り戻そうとしても、容易に放さない。しっかりくわえているのだ。そのままで鳴くから、声も鬼気迫って恐ろしい。しかし、くわえているものが、ワイフや娘の@@@だったりするから、ちょっと笑えることもある・・・いや、笑っていてはいけない。この奇行は、チーズ・カマ・ペコが家にやってきてから発症したので、精神的なものではないかと想像している。
 最近、玄関のトイレがとても臭う。猫のトイレが二つもあるから当然と言えば当然かもしれない。しかし、アンモニア臭がやけにきつい気がする。「ときどきトイレの外にしてしまうことがあるみたい」とワイフ。「それでも、臭いものは臭い!」ワイフに小言を言ったら、すぐトイレの砂を交換してくれたらしいが、それでも臭い。
 「外でトイレの砂を換えて、中に入れたら、我慢できずに玄関のタタキでジョージョーやってるのよ」
 いけない。もしかするとシルバーはボケたのかもしれない。うちで飼うようになって10年は超えている。
 「シルバー。お前。いくつになったんだ?」
 「ニャー、ニャー(ご主人様と同じ50歳だ:ミャウリンガル訳)」
 「嘘つけ」

5月20日(木)「苛性ソーダ事件の巻」
 帰宅してから懸案の町内会の仕事をした。実は、PTAに続いて広報部長を頼まれ、およそふた月に1度「自治会ニュース」を発行しなければならない。その最初の号を今月末に発行するため、今夜で一気に仕上げることにした。ネタや写真はほぼそろっているが、全体構成や埋め草も考えながらの作業になるので、ちょっと時間がかかる。完璧主義の虫をなだめながら、何とか11時までに完成させることができた。やれやれ。
 「あなた。アルミって、苛性ソーダに弱い?」
 藪から棒にワイフに化学の問題をぶつけられた。
 大学入試の時は化学は満点を取れるほどの知識を有していたが、その後の不勉強がたたって、過去の記憶も薄れてしまった。
 「空気中で酸化皮膜ができるから、腐食性は問題ないんじゃないの。でも、どうして?」
 ワイフが指差すダイニングのフローリングが、シロアリに食われたように白っぽく浸食されている。
 「油と苛性ソーダで石鹸を作る実験をするため、学校から苛性ソーダをアルミ缶に入れて持ってきたのよ」
 持って帰ってきたのは次女である。
 家で天ぷら油などと混ぜて置いておいたらしいのだが、見事にアルミ缶の底が抜け、おまけにスーパーのバッグも破れて液がフローリングの床に広がったという。ということは、アルミは苛性ソーダに対して、腐食性は劣るのだ。早速インターネットで調べてみると、「苛性ソーダは強アルカリで腐食性が強いので、鉄やアルミの入れ物はダメ。ステンレス、ガラス、ポリプロピレン(PP)を用いること」とあった。
 次女の証言では、学校ではPETボトルを用意するように言われたのだが、気にせずアルミ缶を持って行き、それに苛性ソーダを入れて帰宅したとのことだ。原因は確かに次女が作ったが、万一の注意を払わなかった学校側にも監督責任がある。何と言っても苛性ソーダは毒劇物なのだ。
 私がわめいたために、次女が落ち込んでしまった。
  
5月21日(金)「図書館に行く目的とは・・・の風さん」
 名古屋での衛生管理者の講習会の帰りに、愛知県図書館に寄って、借りている本の継続手続きをしてきた。
 常に追われるように生きている私は、ふとした瞬間に時間が止まるのを実感する。ほとんど走っているような歩き方をする私である。国会図書館内でもそうだ。しかし、今日のように非常に重いカバンをかかえていたのでは、とてもそんな歩き方はできない。いきおい普通人のペースで歩くことになる。そういった時に、普段見えていない風景が目に入ったりするのだ。図書館に出入りする一人ひとりが、はたしてどんな目的でここへやって来ているのだろうかと想像してしまう。そんなことをつらつら考えていると、急ぐ必要もない目的で図書館へ通うことができたらどんなに気が楽だろうかと思う。それとも、そんな目的では図書館へは足は向かないのだろうか。
 先週末と今週末、講習のために名古屋へ通うことができ、不十分だったゴールデンウィークの穴埋めができた気がした。
 帰宅したら、また鈴木輝一郎さんから新刊が届いていた。『時代小説が書きたい!』(河出書房新社 1400円税別)である。タイトルが文法的におかしい気はするが、ま、めくじくら立てるのはやめよう。それと、本の価格は税込み表示にはならないのかな、と思ったが、それも、よし、としよう。問題は、中身だ。とうとう時代小説の書き方まで指南する本を出すとは・・・驚きである。現代は本を読む時代というより、本を書く時代である。そのうち読者より著者の人口の方が増えてしまうのではないか、と半分冗談で心配している。小説を書く手法を公開するのは全く問題ないが(簡単に真似できるシロモノじゃないから)、時代小説の書き手をターゲットに出版したとしたら、これは私の想像以上に、世の中が変化しているということだ。
 夕食後、身辺の雑用を始めたら、またどんどん時間が経過してしまい、あっと気付いたらもう午前1時である。あと二つやりたいことがあったが、仕方ない。また明日だ。
 そのとき、ハッと気が付いた。
 今日、愛知県図書館で見た多くの来館者の中には、小説を書こうという目的の人が案外多かったのかもしれない、と。そういえば、今回の江戸川乱歩賞(24歳。史上最年少)は名古屋のフリーターである。

5月22日(土)「梅雨の走りみたいな日・・・の風さん」
 天気予報では降雨確率は10%なのに、朝から雨がぱらついた。
 どうにも体調が悪く、いえ、病気ということではなく、老化している肉体が運動不足だと調子悪いということで、トレーニングに出かけた。今月やっと2回目である。トレーニングルームの体重計の座りが悪く、指針がフラフラするので置き場所を変えたり台の裏の足の高さを変えたりして安定化させた。水準計がずれているが、そこまで調整している余裕はなかった。トレーニングを開始してすぐ左の背中に激痛が走った。寝違いか他に原因があるのか不明。天気の冴えない土曜日は、意外と混んでいる。こういうことにも女性は関心が高いのか、半数は女性である。ま、ジジイばかりでないことは歓迎すべきことではある。さて、心配された数値はまずまずで、血圧は・・・血圧計がエアー漏れで壊れていたが何とか測定し・・・正常、肥満度−1.9%、体脂肪率は18.3%だった。
 帰宅してシャワーを浴びようとしたら、右大腿部に大きな内出血の跡! どこかにぶつけたのだ。今ごろ気付くところが老化の最たるところだ。やがて、自分が死んでいても気付かなくなるかもしれぬ。
 さっぱりしたところで、ワイフに、映画でも観に行こうか、と誘おうとしたら、「体調悪〜」と青い顔をして寝室へ。
 晩御飯はピザの出前を頼んだ。
 9時ごろ、ワイフがフラフラしながら起きてきた。「大丈夫?」と訊くと、「報道特別番組を観なければ・・・」と言う。書斎に籠もっていた私も一緒にリビングへ向かった。
 拉致被害者の家族の帰国である。テレビは盛んに親の視点でモノを言っているが、私は子供らの気持ちが一番気になった。歴史の授業で、秀吉以来「悪いことをした日本人」と教えられてきたのだ。親からも真実は告げられていなかった。いったい誰がこの帰国を彼らに誠心誠意説明できただろうか。子供らの不安ととまどいが、私には痛いほど感じられた。だから、一瞬でもいいから、彼らの笑顔を見たかった。
 そうして、移動するバスの開けられたカーテン越しに見えた笑顔、ホテルに着いて降りてきたときのかすかな笑顔を見て、少し安心した。これから長い時間をかけて複雑な日本を受け入れてもらうことになる。「帰って来なければ良かった」と言われなければいいが。
 ワイフは再び寝室へ逆戻りした。

5月23日(日)「また観ちゃったラストサムライ・・・の風さん」
 今日も雨が降ったりやんだりの変な空模様だった。それでも、本当に1年ぶりの雑務に追われていない1日を過ごすことができたので、今度の作品のことをじっくり考えることができた。年表作りも、キーボードを叩く指が痛くなるほどできた。
 ただし、ワイフの体調が今日もすっきりせず、夕食は長女が頑張ってくれた。
 その後、またワイフが寝室へ引っ込んでしまったので、先日入手したばかりのDVD「ラストサムライ」を、ちょっとだけ観るつもりでデッキに挿入したら、目が離せなくなってしまい、最後まで観てしまった。映画館で観たときと違う新たな発見は、音楽が良かったことと、飛源(ひげん)役の子役の演技がかなりのレベルだったことだ。監督は日本人じゃないはずだが、日本人に日本人の演技をさせているのだから、これはちょっとすごいと思った。
 それから、日本人以上に日本人の精神を美化して描いていた点も、ちょっとすごいと思った。
 私がこれから取り組む小説も、できるだけ高い視点でテーマを選定しなければならない。

5月24日(月)「初ゴキにたじろぐ風さんの巻」
 カンヌ映画祭で日本の14歳の男の子が最優秀男優賞になった。14歳というと、何年か前まで嫌な記憶とつながる年齢だった。それがどうだろう。もはや日本人だからという特別な見方はないのかもしれない。国内はやわな若者であふれ返っているが、国際的に活躍する日本の若者の何と多いことか。私も負けてはいられない。
 朝出社してから9時に退社するまで息つく間もない1日だった。
 終日、頭痛にも悩まされた。
 最近エンジンの始動がもたついているミッシェルで帰宅すると、ワイフはまだ完調になっていなかった。
 それでも、昼は天ぷらそば1杯だけだったので、空腹の胃に夕食がうまかった。
 やがて、次女が風呂に入りに行って・・・悲鳴!
 初ゴキだった。
 早く帰宅して私が一番に入浴していたら、私が第一発見者になっていたかもしれない。
 たまには遅い帰宅も幸運につながることがあるらしい。おっと! そんな弱音を吐いているようじゃ、この先、長くはないぞ、50歳!

5月25日(火)「残業協定違反とオイル交換の関係・・・の風さん」
 本社に出張し、12時半過ぎに仕事を終え、「さあ、昼飯でも食べてから製作所へ戻ろうか」と思ったとき、胸のケータイがぶるぶる震え出した。(おっ! 女の子からだ!)という確信はもろくも砕け、部下からの電話に出た。
 なんと、組合との協定違反の残業が発覚したという。それもハンパでない違反で、「これじゃ、部長に説明できない!」怒った風さんは、すぐさま直属のリーダーを呼びつけ、事情を詳しく聞くことにした。
 待つこと30分。色々と聞いてみると、偶然もたくさん重なっていて、なかなか上司は気付きにくい状況だった。
 ようやく部長に説明して、事後処理の書類にハンコをもらえたのが、午後2時だった。
 ここのところ、朝、ミッシェルの始動が悪い。
 良い機会だったので、ガソリンスタンドへ行き、オイルとエレメントついでにクーラーガスチャージもしてもらうことにし、待っている間に、コンビニへ行き、パンを買ってきて昼食にした。
 クーラーの効きは、やや良くなった。が、オイル交換の効果はまだ分からない。
 帰宅したら、私が編集した『自治会ニュース』の印刷が終わっていた。

5月26日(水)「読み終わったぜ、『武揚伝』・・・の風さん」
 午前中は、部下の残業オーバーの件で、労働組合からこってり絞られた。
 今日こそ早く帰宅しようと、頑張ったが、またダメ。
 帰宅したらやはり疲労感を覚えたので、夕食後、メールチェック程度で切り上げ、さっさと入浴し、ベッドへ。
 1年前から読み続けていた佐々木譲の『武揚伝(ぶようでん)』の下巻最後の部分を読み終えた。午前1時半近かったが、とうとう読み終えた。『怒濤逆巻くも』を執筆中に出版された本で、手に取った瞬間、「やられた!」と思った。明らかに幕府側からの視点で、史実に忠実に書かれた大作であり力作だった。
 「読んでしまうと、自分の作品が書き進められなくなりますよ」編集長の忠告に従って、購入はしたが敢えて読み進むのはやめていた。その後、この『武揚伝』は、新田次郎文学賞を受賞した。欲しかった賞だが、これはかなわない。決して悔しかったからではなく、あまりの大作でなかなか読み進めなかった。それが、やっと読み終えたのだ。なかなか視点の高い、格調ある作品である。史実をしっかり踏まえている点では、私も決して負けてはいない。さらに、人間ドラマという点では、より一般庶民の視点に近い私の作品の方が読みやすいのではないか、と自負したい。

5月27日(木)頭痛が・・・の風さん」
 体調不良で元気のなかったワイフがようやく元気になり、それと反対に会社でトラブルの多い私が、最近は不機嫌である。朝、出掛けに、「怒らない、怒らない」とワイフに両手でセーブするようなポーズで送り出される始末。
 結局今日も目の回るような忙しさで1日が暮れた。
 最後の極めつけは、部下の英語の論文の添削で、3人がかりで3時間もかかってしまった。
 予定外の仕事で疲れ果て、おまけに頭痛がひどくなり、這うようにして帰宅した。
 今夜は、本当にさっさと寝てしまおう。
 ・・・しかし、最近、ホームページのアクセスカウンターの伸びが悪いなあ。

5月28日(金)「夫婦像という視点で明治時代を見てみると・・・の風さん」
 また、週末の名古屋出張でホッとする。毎日仕事でカッカカッカし疲弊しているので、一種の逃亡になる。
 睡眠は十分とったのだが、頭痛が残っていた。もしかして風邪か何か病気かもしれないが、死ぬまで元気に頑張らねば、という屁理屈で、頭痛薬を飲んでから出かけた。
 電車の中で、急遽持参した本を読んでいて、面白い部分に出会った。本は、永井路子著『歴史をさわがせた夫婦たち』(文芸春秋社 昭和57年 第5刷)。貝原益軒夫婦を生き生きした戦後の(つまり現代の)友だち夫婦そのまま、と解説し、夫婦のあり方というものは昔も今もそう違いはないということかもしれない、と言った後で、次のように書いている。
 「彼ら(江戸時代の夫婦)と戦後の夫婦の間には、歴然とした谷間がある。明治から戦前までのあの時期だ。やたらに男尊女卑を強調し、女は黙ってついてこい式の考え方がまかり通ったあの時代ー。すんなり行けば、益軒や(池野)大雅のムードがもっと花開いてもよかったはずなのに、まったく風向きが変わってしまった。いわゆる明治の元勲といわれる連中に亭主としてロクなのはいない。もしかすると江戸よりも明治の方が女にとってひどい時代だったのではないだろうか」
 『怒濤逆巻くも』で幕末の真実をある程度描くことができた。一昨日読み終えた『武揚伝』も同様である。ある意味では、映画「ラストサムライ」も明治の虚像を見事に暴いている。
 今日読んだ永井路子の作品から得られたのは、夫婦像という視点で歴史を切ってみると、歪んだ誕生の仕方をした明治政府や明治時代というものが、やはり美化したものとはかなりの隔たりがあったということだ。

5月29日(土)「梁山泊の山賊たち・・・の風さん」
 自治会の仕事で、今日は「ゴミゼロ運動」だった。団地内には散乱しているゴミは少なく、最大の仕事は雑草の処理である。自治会長はじめ役員は若いので、毎年機械装備が充実してきている。2サイクルエンジン駆動の草刈り機が6台、小型チェーンソーが2台、バリカン式の草刈り機も1台ある。
 すべての機械への燃料補給と始業点検をした後、役員らは地元から借りてきた3トントラックに乗り込んで、駅へ通じる坂道へと向かった。荷台に4人が乗った。団地が展開する山の斜面にうねうねと続く坂道は、夜になると暗く、ときどき痴漢が出るらしい。道に覆いかぶさる木を少しずつ伐採しているのだ。今日も、大きくカーブした地点にふさがっている木をチェーンソーで切り倒すことになっていた。
 白蝋病(はくろうびょう)が怖いわけではないが、チェーンソーなど扱ったこともない。・・・が、成り行きで、手に持ってしまった。小型ボートの船外機のように、始動用のレバーを引っ張ってエンジンをかける。ぷるるるるる。なかなかかからない。ぷるるるるる。かからない。よく見たら、スイッチが「オン」になっていなかった。
 エンジンがかかってもいきなりチェーンが回るわけではなかった。握りのところにある引き金みたいなアクセルを引くことで加速するのだ。左手で構えて右手でアクセルを吹かす。逆に、右手で構えて左手でアクセルレバーを引く。どちらも可能だ。会長が先に直径30センチほどの立ち木に向かって行ったが、なかなか切断できなかった。で、私と交代。チェーンソーの先を突っ込んで、アクセルを目一杯吹かす。切り口から木屑が吹き飛び、樹液が滲み出す。なかなか食い込んで行かない。手ごわい。何度か交代しながらようやく切り倒すことができた。
 その後、団地内のそこかしこで繰り広げられている草刈り場所を巡回しながら、刈り取られた草の入った袋を回収したり、人手不足のところでは、草刈り機で一網打尽にする。3トントラックはみるみる袋でいっぱいになり、我々の乗るスペースがなくなった。いきおい、立ち上がって乗ることになる。山のような荷物を積んだトラックの荷台にまたがった男たちの姿は、まるで梁山泊(りょうざんぱく)の山賊たちのようだったろう。
 幸い、薄曇りの天候だったが、肌の弱い私は例によって、半袖Tシャツから出た両腕と、首の後ろ付近が、日焼けで真っ赤になってしまった。

5月30日(日)「昨日の話はあれで終わりじゃなかったの巻」
 昨夜、だいぶ更けてからのことである。階下に降りていったら、次女が「部屋にゴキが出た」と言う。手にしているゴキジェットは既に空だ。直前に長男の部屋でも出たらしく、ゴキジェットを持ち出したと言う。
 総毛立った。
 次女の部屋ではチーズ・カマ・ペコがベッドの下あたりをじっと睨んでいる。
 今夜中に3匹目が出たらどうするか。私の頭はその恐怖で一杯になった。すぐさま、コンビニにゴキジェットを買いにミッシェルで直行した・・・が、売り切れてなかった。ガーン! 2軒目でようやく目的を達した。帰宅したが、3匹目はまだ出ていない。私はストックしてあったゴキブリほいほいを引っ張り出し、4個を組み立て、我が家で最も出現率の高い台所にセットした。
 後は、祈るだけである。
 その後、ようやく落ち着いた私は、ワイフらと「冬のソナタ」を観て、古き良き日本の時代に戻った気分を味わった後、さらにサンドラ・ブロックの「デンジャラス・ビューティ」(図書館から借りてきたDVD)を観て寝たのだった。
 ほとんど夜が明けかけていた。
 そして、今日。
 痛〜い! 両腕の日焼けがひどく、真っ赤に、ぽんぽんに腫れ上がっている。
 加えて筋肉痛。昨日のゴミゼロで、日頃使っていなかった筋肉を酷使したからだった。
 それらの痛みに耐えながら、新作のための資料読みが着々と進んだ。

04年6月はここ

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